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IPCC第6次評価報告書(第3部会)第5章ー需要サイドの緩和

 2022年4月8日に環境省からIPCC第6次評価報告書(第3作業部会)が公表されました。これに先立って、2月22日には第2部会の報告書も公表されています。これらの報告書は本文、政策決定者向け要約、技術的要約の3種類があり、本文は極めて分厚い内容になっています。このうちの政策決定者向け要約(SPM)の内容については、本サイトの以下に引用して記載してあります。

 第2部会評価報告書:「IPCC第6次評価報告書(第2部会)の政策決定者向け要約」
 第3部会評価報告書:「IPCC第6次評価報告書(第3部会)の政策決定者向け要約」

 第3作業部会の取り組み内容は「気候変動の緩和」ですが、今回初めて「需要サイドの緩和」が本文第5章にまとめられました。評価報告書の本文については、内容が詳細に渡るため、これまでは政策決定者向けの要約(SPM)を読む程度だったのですが、今回「需要サイドの緩和」の内容が、本サイトの内容に深く関係していることから、この第5章に関して取りまとめることとしました。なお、ここでの緩和とは地球温暖化の緩和、すなわちGHG排出の削減を意味します。

 IPCCの評価報告書は、世界中の関連する論文を多くの科学者が読み、内容を取りまとめたものであり、記載された表現にはその内容の確からしさについても付記されています。政策決定者向け要約は、報告書の記載内容について各国政府との調整を経て完成されるものです。ただし、政策への推奨事項を提起するのではなく、政策決定の参考資料として役立ててもらうという方針で作成されています。

 従って、その記載内容は論文からの引用が中心であり、こうあるべきであるという主張はありませんが、論文の結論が多くの著者らによって裏付けられている場合、科学的観点からの主張もしくは推奨としてとらえることは可能と思われます。

 ここではまず、第5章の前段で説明されている「緩和シナリオ」について要約します。そして、そのシナリオに対して第5章に記載されている「需要サイドの緩和」をどのように進めるかについての概要を示したいと思います。

 なお、英語圏の方は、IPCCのサイトから本文を読まれることをお勧めします(本報告をWebの自動翻訳で読む場合、その翻訳が適切でない可能性があります)。以下をクリックすると本文に移動します。

https://report.ipcc.ch/ar6wg3/pdf/IPCC_AR6_WGIII_FinalDraft_FullReport.pdf

目標を達成する緩和シナリオ

 IPCCのこれまでの報告1)及びCOP26の協議結果(本サイトの「COP26の結果報告(1)-結果の概要」を参照ください)では、気温上昇のレベルを1.5℃に抑えることが、世界的な合意事項になっていると言えます。そして、21世紀の半ばまでにGHG排出量の「ネット・ゼロ」または「カーボン・ニュートラル」とすることが意識されています。

 今回の第6次評価報告書(第3作業部会)においては、第5次評価報告書以降、世界中で緩和に対処するための政策や法律が一貫して拡充し、それらがなければ発生したであろう排出が回避され、低GHG技術やインフラへの投資が増加していると述べられています。しかし、それでもなお人為的なネットのGHG総排出量は増加し続け、2010~2019年の期間に最大となったとあります。

 そして、下図2)に示すように2020年までに提出された各国のNDCs(Nationally Determined Contributions:国の決定した貢献)のGHG排出量を集計した結果、2030年の世界全体のGHG排出量では、21世紀中に温暖化が1.5℃を超える可能性が高く、温暖化を2℃より低く抑えることが難しくなるという結論になっています。

出所)環境省:気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第3作業部会報告書の公表について、報道発表2022年4月4日
 上図に示すように、赤の線がNDCsを実施した場合のGHG排出量の経路です。この場合は、2℃以下に抑えることはできません。緑の線は今すぐに行動することで温度を2℃以下に抑えるモデル経路、青い線は同様に温度を1.5℃以下に抑えるモデル経路です。そして、紫の線は温暖化を2℃に抑える対策が十分でなく、オーバーシュート後(1.5℃以上に上昇した後)、2030年以降に温暖化を1.5℃に抑えるためのモデル経路です。紫の線は2030年までの低減が十分でないため、2030年以降急激なGHGの削減が必要な経路になっています。オーバーシュートしない又は限られたオーバーシュートを伴って温暖化を1.5℃に抑えるモデル化された経路では、世界全体としてCO2排出量正味ゼロ(ネットゼロCO2)に2050年代前半に達し、温暖化を2℃に抑える可能性が高い経路では、「ネットゼロCO2」に2070年代前半に達するとされています。

 このような温暖化を1.5℃または2.0℃以下に抑制するためには、エネルギー部門全体の化石燃料使用の大幅削減、低排出エネルギー源の導入、代替エネルギーキャリアへの転換、及びエネルギー効率と省エネルギーなどの大規模の転換を必要とすると同時に、産業、都市、建物などの需要サイドのシステム変革を伴う緩和策の実施が不可欠であるとされています。そして、上記の図の緩和シナリオの説明にあるように、COP26に提出されたNDCsの内容をさらに改善した緩和策を、今すぐに実行することが求められています。

 需要サイドの緩和には、インフラ利用の変化、エンドユース技術の採用、及び社会文化的変化及び行動の変容が含まれます。需要サイドの対策とエンドユースサービスの新しい提供方法によって、エンドユース部門における世界全体のGHG排出量をベースラインシナリオに比べて 2050年までに 40~70% 削減しうるとされています。この緩和を実現することで目標とする地球の気温を1.5℃または2.0℃以下に抑えることが短期的に可能となると期待されています。

第5章(需要サイドの緩和)の概要

(1)構成

 第5章の構成は以下の通りです。

 5.1 序文
 5.2 需要サイドの緩和におけるサービス、幸福、および公平性
 5.3 機会空間のマッピング
 5.4 高福祉・低炭素需要社会への移行
 5.5 移行に関する統合的な考え方
 5.6 ガバナンスと政策
 5.7 知識格差

 ここで、最初にサービス、幸福、公平性(equity:場合によっては衡平性を含みます)という言葉が出てきます。この第5章では人間の幸福を「万人の幸福」(Wllbeing for all)として取り扱い、それを満たすことと需要サイドの緩和は整合するとしています。これは、従来は世界の発展途上国が幸福を求めてエネルギー消費を増加させる場合、緩和の障壁になると考えられていたことへの否定的結論といえます。

 そして、その社会の在り方として高福祉・低炭素需要社会を目標とし、それへの移行の道筋とガバナンス、政策について取りまとめています。それでは、内容について具体的に説明していきます。

(2)需要サイドの緩和におけるサービス、幸福および公平性

<幸福とサービス>

 人の幸福には、「主観的幸福」と「社会的幸福」の2面があるとされます。前者は主観的な動機である苦痛の最小化を選択し、個人の自由や自己保存を欲求します。後者は幸福を美徳と関連付け、社会制度や政治システムによる安定化を欲求します。

 そして、これらの幸福感は基本的なニーズが満たされることにより得られます。基本的なニーズとして、健康や安全であること、自由、平等、情報、コミュニケーションなど多くのものがあります。これらのニーズを満たすためには、水や食料、エネルギーなどの天然資源が必要です。さらに、各種のニーズを満たすために、衣食住、通信、移動手段、道路、ネットワーク、公共空間、保健医療、学校、公共交通などのインフラ(サービス提供者)が必要とされます。ここでのインフラは公共的な施設、設備だけでなく民間の運営機関(電気、ガス供給企業など)の施設も含んでいます。このインフラが人のニーズに応えて各種のサービスを提供するのです。

 幸福のニーズはサービスの提供により満たされます。エネルギーに関するサービスに関していえば、サービスはエネルギーそのものではなくエネルギーが提供する直接的・間接的なサービスが、幸福をもたらします。従って、多くのきめ細かいサービス提供システムが、「需要」をより柔軟にし、緩和のための新しい選択肢を提供し、基本的ニーズへのアクセスを支え、人間の幸福を高めることができるとしています。

 すなわち、緩和が可能なエネルギーに関するサービスの提供を行うことで、幸福のニーズを満たすことができます。先程示した需要サイドの緩和と「万人の幸福」が整合するという主張の1つ目の根拠は、効率的なサービスの提供により達成されるということです。

<幸福と公平性>

 世界の人口の10%の富裕層が、世界のGHG排出量の50%を排出しているという研究があります。これは、言い換えるとエネルギーの約半分は、世界の10%の富裕層によって消費されているということです。そして、富裕層のライフスタイルと消費パターンは、しばしば成長する中間層に影響を与えることになり、この不平等を続けることで、エネルギー消費の増大、そしてGHG排出量の増大が続くことになります。不平等な社会はエネルギー資源の利用効率が低く、所得の不平等が大きいと少なくとも先進国ではGHG排出量が多くなるとされています。

 一方、ある研究では公共サービスの質、所得の平等、民主主義、電気へのアクセスは、低いエネルギー需要でより高いニーズ満足度を可能にする一方、採掘主義と中程度の豊かさを超える経済成長は、高いエネルギー需要でニーズ満足度を低下させることが示されています。

 下図は、社会経済発展によってランク付けされた3つのグループの国の一人当りのエネルギー消費量を示しています。同図では、4または5種類の所得グループ(データの入手可能性による)に基づいて各国のエネルギー消費の分布を示しています。適度な生活水準のための最終的なエネルギー消費量(20~50GJ/人)は、各国に依存するのではなく世界共通の基準として青いハッチングで示されています。

 エネルギーを多量に消費している需要者が、国のグループに寄らず存在することが分かります。所得格差が大きいほど、この幅が大きくなっているはずです。日本のエネルギー消費量の分布幅は他の国に比べると非常に狭くなっており、所得格差が少ないことを示しています。しかし、温暖化を防止するための最終エネルギー消費量の範囲にはほとんどが含まれてない状況です。

IPCC第6次評価報告書(第3作業部会)第5章、図5.3

 需要サイドの緩和と「万人の幸福」が整合するという主張の2つ目の根拠は、公平にサービスを提供することは、無駄にエネルギーを浪費した一部の需要者の行動を改善することによって達成されるということです。その適正なサービスの提供水準は後程、説明されます。

<信頼と社会参加>

 社会経済的な公平性は、万人の幸福だけでなく、信頼と効果的な参加型ガバナンスを構築し、その結果、需要サイドの緩和を強化するという文献上の高い一致があります。下図に示すように公平性、参加、社会的信頼、幸福、ガバナンス、緩和は、継続的な相互作用と自己強化のプロセスの一部であると結論付けられています(下図の矢印の太さは、最近の社会科学文献から得られた証拠の信頼度に対応しています)。

IPCC第6次評価報告書(第3作業部会)第5章、図5.5を和訳

 つまり、多くの研究で明らかになっていることは、社会参加が可能で信頼関係に基づく平等な社会が「万人の幸福」を実現し、そしてGHG排出量を低減させる(需要サイドの緩和を実現する)ということです。そして、需要サイドの緩和は食料や水資源の保全、大気・生態系への環境保全、交通渋滞の緩和など多くのコベネフィット(共同利益)を生み出します

(3)機会空間のマッピング

<回避(Avoid)・転換(Shift)・改善(Improve)>

 「万人の幸福」を向上させながら、世界のエネルギー需要と資源の投入を削減するには、適切な生活の必需品を損なわない選択肢、サービス、経路を特定することが必要です。そのような解決策を特定するために、ここでは回避(Avoid)・転換(Shift)・改善(Improve)の概念を通じて、社会文化的、技術的、インフラ的な介入を行います(これらを統括してASIと称します)。現在のサービス提供システムにおける無駄を継続的に排除することを目的とした選択肢を提供します。

 ASIはもともと、輸送サービスの提供において、相互に関連する緩和策の段階と組み合わせを評価する必要性から生まれたものです。交通サービスにおいてはASIは、交通サービスの需要を可能な限り回避し(例:テレワークによる通勤時間の短縮、都市の複合用途区画による通勤距離の短縮)、残った需要をより効率の高い手段に転換し(例:乗用車に代わるバス高速輸送)、利用する手段の炭素強度を改善する(例:自然エネルギーによる電気バス)ことで排出量を軽減することを目指します。

 「回避」は、サービス提供システムの再設計により、不要な(所望のサービス出力を提供するために必要でないという意味で)エネルギー消費を削減するすべての緩和策を指し、「転換」は、すでにある競争力のある効率的な技術やサービス提供システムへの切り替えを指し、「改善」は、既存の技術における効率の改善を指しています。

 下表にサービス分野別に「回避」、「転換」、「改善」の具体的な内容を示します。一例として、移動分野についてみると、二酸化炭素排出量(kg-CO2)は以下の構成要素を持つ式で表され、それらは(人・km)、(MJ /km)、(kg- CO2/MJ)の積で表されます。

 移動による二酸化炭素排出量:kg-CO2 =(人・km)*(MJ/km)*(kg-CO2/MJ)

 そして、第1項の(人・km)はテレワーク等により削減でき(回避)、第2項の(MJ /km)は自動車から自転車への転換すなわちモーダルシフトにより減少でき(転換)、第3項の(kg- CO2/MJ)は車両の軽量化や電気自動車等により減少できる(改善)ということを示しています。

表-1 サービス分野における回避・転換・改善

サービス  排出構成要素  「回避」    「転換」    「改善」  
移動
[人・km]
kg-CO2=(人・km)*(MJ/km)*(kg-CO2/MJ) <革新的移動手段による旅客キロの削減>
交通と土地利用計画の統合
高効率物流
テレワーク
コンパクトシティ
長距離便の削減
ローカルホリデー
<移動手段の選択肢の増加>
モーダルシフト
(自動車から自転車、徒歩、公共交通機関へ)
空路から高速鉄道へ
<低炭素設備設計の革新>
軽量化車両
水素自動車
電気自動車
エコドライブ
住居
[m2]
kg-CO2=(m2)*(材料-t/m2)*(kg-CO2/材料-t) <革新的な住まいで面積を減らす>
適度な広さの住居
共有スペースの設置
多世代共生住宅
<材料効率の良い住宅>
使用量の少ない住宅設計
一戸建て住宅から集合住宅への移行
<低炭素住宅材料>
木材の利用
建材(セメント、鉄鋼など)の低炭素化
冷暖房
[室内温度℃]
kg-CO2(Δ°C ・m3) * (MJ/m3)*(kg-CO2/MJ)
Δ°C:上昇・下向温度
<健康的な室内温度の選択>
冷暖房面積の削減
温度設定値の変更
服装コードの変更
勤務時間の変更
<冷暖房熱量を低減する設計オプション>
建築デザイン(遮光、自然換気など)
<冷暖房の低炭素新技術>
太陽熱利用機器
断熱材の改善
ヒートポンプ
地域冷暖房
商品(製品)[個] kg-CO2=製品数* (材料-kg/製品1個)*(kg-CO2/材料-kg) <製品当りのサービス量の増加>
長寿命製品
シェアリングエコノミー
<材料効率的な製品設計>
材料効率が高い製品設計
<低炭素材料の使用>
新炭素材料の使用
新製造工程、装置の採用
栄養
[消費熱量]
kg-CO2=(消費熱量)*(生産熱量/消費熱量)*(kg-CO2/生産熱量) <生産カロリーと消費カロリーの削減>
健康ガイドラインに沿った摂取カロリー
サプライチェーンと購入後の廃棄物の削減
<低炭素食事の選択肢の増加>
栄養を維持しながら反芻動物の肉と乳製品から他のタンパク質源への食生活の転換
<熱量当り炭素排出量の削減>
農法の改善
エネルギー効率の良い食品加工
照明
[ルーメン]
kg-CO2=ルーメン*(kWh/ルーメン)*(kg-CO2/kWh) <人工的光需要の最小化>
センサーによる稼働自動化
照明管理
<自然採光を増やす設計オプション>
採光を最大化する建築デザイン
<需要革新型照明技術と低炭素電力の供給>
LED照明
出所)IPCC第6次評価報告書(第3作業部会)第5章、表5.1を和訳

<適度な生活水準>

 気候変動緩和政策に関する主要な懸念は、生活の質を低下させる可能性があることです。多くの研究に基づき、人間の基本的な幸福を達成するために不可欠な普遍的なサービス要件として、適度な生活水準(DLS:Decent Living Standard)の概念を採用します。

※ここで、Decentの訳は、「そこそこの、かなり良い、見苦しくない、慎み深い」といった言葉があてられますが、今後エネルギー需要が増加していく開発途上国においては、「そこそこの、かなり良い」の意味がぴったりしますが、先進国でのエネルギー需要を抑制していく立場からは「慎み深い」あるいは「適度な」を使用する方が適切と考え、ここでは「適度な」として訳します。 

 DLSには、栄養、住居、生活環境、衣服、健康維持、教育、移動の水準が含まれます。DLSは、社会の基本的な低炭素エネルギーニーズを理解するための公正で直接的な方法を提供し、基盤となる物質とエネルギーの必要レベルを規定します。

 野心的な低排出量の需要サイドのシナリオは、DLSに基づいて世界の最終エネルギー需要を削減しながら、幸福を維持または改善できることを示唆しています。研究においては2℃以下に抑えるエネルギー需要においても、万人のための適度な生活水準を満たすことが可能であると推定されています。

 これが、「万人の幸福」と需要サイドの緩和は整合するという直接的な根拠です。ここでの重要な関心事は、生活様式の改善、様式の転換、ある種の排出の完全な回避を統合するために、新しい技術を社会の変化とどのように融合させるかです。

 これらのDLSに基づいて、需要サイドの最終利用部門を①食料、②製品、③陸上輸送、④住居、⑤電力の5部門に分けて、2050年のGHG排出量の削減ポテンシャルを表したものが下図です2)。2050年に想定されるGHG排出量(薄い灰色)は、社会文化的要因(青色)、インフラの利用(赤色)、最終利用技術の採用(黄色)により削減され、回避または削減できない排出量(濃い灰色)となります。この最後の排出量は供給側のオプションにより対応されるとしています。

出所)環境省:気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第3作業部会報告書の公表について、報道発表2022年4月4日

 まず、食料については持続可能な食生活、残り物の利用、過剰な調理の回避といった行動の変化が重要なサービス指向の解決策となります。最近の統計では食品廃棄物の61%は家庭から、26%は外食から、13%は小売からであり、これを減らすことでサプライチェーン全体のGHG排出量を削減することが可能です。

 また、陸上輸送についてはインフラ利用(特に都市計画と共有プールモビリティ)は、GHG排出削減において約20~50%(平均)の可能性があるとされています。また、建物(住まい)は余分な床面積、暖房、IT機器、およびエネルギー使用における無駄の削減を含んで10~30%の削減が可能であるとしています。一番右側の電力は、追加的な電力(化石燃料を代替する電力、紺色)が60%増加しますが、需要サイドの対策によって73%が削減されると推計されています。

(4)高福祉・低炭素需要社会への移行

 需要サイドの緩和には、個人(例:消費の選択)、文化(例:社会規範、価値観)、企業(例:投資)、制度(例:政治機関)、インフラの変化が含まれます。その分野別に緩和行動に誘導する駆動要因(ドライバー)が重要になります。これら5つの人間行動のドライバーの事例を下図に示します4)

出所)IGES:気候変動ウェビナーシリーズ、IPCC第6次評価報告書解説その④、第3作業部会報告書 各論編5章
注)IPCC第6次評価報告書(第3作業部会)第5章の記述を基にIGES渡部篤志氏が作成

 具体的には、個人の行動を促すドライバーとして、適切な選択肢をデフォルトにする人々の関心に合うフレーミングを作成するなどがあります。社会文化的ドライバーとして、快適性やステータスという「意味」を付与したり、市民運動や社会をリードする人などが働きかけることで、社会文化的な集合行為につなげることなどが想定されています。

 ビジネスではゼロカーボンへのコミットメントが企業のイメージを向上させますし、脱炭素への投資(ESG)なども多くの関心を集めています。さらに、ステークホルダーの調整を行う政策対話などの制度や再エネの発電変動に対応した電気システムなどの技術インフラもドライバーとして大きな役目を果たします。

 こうしたドライバーを駆使して需要サイドの緩和政策の設計と実施を行い、個人の主体性、社会的役割と規範、インフラと技術の制約、その他の公式・非公式な制度という形で需要サイドの意思決定に働きかけることで、緩和行動を促進します。

 5つの分野全てのドライバーの導入は、社会的慣行を変え、エネルギーと幸福に同時に影響を与えます。変革には、5つのドライバーすべてを協調して使用する必要があります。協調して実施することで、個別に実施した場合の効果の総和を上回るという研究結果も紹介されています。

(5)移行に関する統合的な考え方

 移行は多くの場合、数十年の期間を要し、いくつかの段階を経て展開されます。イノベーション、部門、国によって違いはありますが、一般的な中核的プロセスと課題によって特徴付けられる以下の4つのフェーズがあります。

 (1)出現
 (2)初期適応
 (3)普及
 (4)安定化

 第一段階では、研究者、発明家、社会運動組織、地域活動家がその開発に時間と労力を捧げるニッチでラディカルなイノベーションが出現します。第2段階では、社会的・技術的イノベーションが先駆者によって流用・購入されることで、知名度が向上し、小規模ながら安定した財源が得られる可能性があります。

 第 3 段階では、急進的なイノベーションがより広いコミュニティや主流市場に拡散していきます。典型的な推進力は、性能の向上、コストの削減、消費者の広範な関心、インフラや補完的技術への投資、制度的支援、強い文化的アピールです。第4段階では、普及するイノベーションが既存の慣行やシステムを置き換えたり、大幅に再構成したりすることで、企業の方向転換につながることがあります。新しいシステムは制度化され、専門家の基準、技術能力、インフラ、教育プログラム、規制や制度論理、ユーザーの習慣に固定されるようになります。

 多くのエネルギー技術のパフォーマンスを歴史的に分析し、より小規模で「粒状」の技術が、より速い普及、低い投資リスク、速い学習、公平なアクセス、多くの雇用創出、投資に対する高い社会的利益に関連していることを明らかにしました。より粒度の細かい技術が持つこれらの利点は、低炭素化の加速と一致します。

※上記の「粒状」の原文はgranularです。直訳していますが、最近は詳細な、緻密なという意味でも使われるようです。しかし、今回の意味は太陽光パネルのように、簡易に誰でも素早く採用が可能な技術という意味で使われているように思われますので、ここではそのまま「粒状」という言葉を使いました。なお、英語圏の方はこのコラムは無視してください。

(6)ガバナンスと政策

 需要サイドの緩和では、資源とエネルギーの投入レベルを削減しながら、人々に適度な生活を提供する社会内のサービスニーズを満たすために必要な多次元的変化を推進するために、ガバナンスが鍵となります。公平なガバナンスは、法の支配によって誰もが平等に扱われると理解され、社会的信頼を生み出し、その結果、包括的で参加型の需要サイドの気候政策を実現する重要な要因となります。

 需要サイドの移行を加速するには、その選択肢を広げることと、意思決定と行動の5つのドライバーを強化する、包括的で的を得た政策ミックスの両方が必要となります。

 ライフスタイルの変化に影響を与える「回避」政策は、エネルギー使用量と排出量の費用対効果に優れた削減の機会を提供しますが、個人レベルの行動を形成・修正する政府の取り組みに関する政治的敏感性を克服する必要があります。都市は、基本的なサービスの充足、人的・制度的能力の向上といった課題がありますが、これらを満たすのは、公共交通の回廊で結ばれ、すべての市民が平等にアクセスでき、高いレベルのサービス提供を可能にする徒歩や自転車でのアクセスが可能な都市です。

 排出量の多いライフスタイルの「回避」を支援し、「幸福」を向上させる政策は、スマートな技術、インフラ、慣行の導入により促進されます。これには、高品質のICTインフラへの投資に関する規制や対策、柔軟な労働条件に関する企業方針などが含まれます。

 「転換」政策として、公共交通に人々を引きつけるには、十分な提供レベルの交通の空間的カバーと、手頃な料金で質の良いサービスが必要です。都市の歴史やタイプによって、公共交通手段への移行がどれだけ早く実現できるかが決まります。

 「改善」政策は、サービスの効率化と技術的性能の向上に焦点を当てたものです。移動サービスでは、改善政策は、車両、快適性、燃料、輸送操作及び管理技術の改善を目的とし、建築では暖房システムの効率改善及び既存の建物の改修に関する政策が含まれます。電気調理器具の効率改善は、再生可能エネルギー技術の継続的な価格低下とともに、家庭が大量に電気調理を採用することを支援する政策が必要です。

 セクター間のインフラの相互依存を管理し、トレードオフ効果を回避するためには、政策の調整が重要であり、特に供給側と需要側の対策間の相互作用を考慮する必要があります。重要な政策手段としてカーボンプライシングがありますが、家庭のエネルギー費用を押し上げるような改革は、市民等の協力を得られないため、カーボンプライシングに先立ち再生可能エネルギーや低炭素交通手段への投資を行い、抵抗感を軽減する必要があります。さらに、収益分配において公平性と分配的配慮が明示されれば、カーボンプライシングはより高い受容性を得ます。

おわりに

 本文の第5章を読むきっかけになったのは、地球環境戦略研究機関(IGES)のウェビナーにおいて、この第5章に関する講演を聴講したことです(IGES、上席研究員、渡部厚志氏の講演)。特に、講演資料にある「次の10年で、数十億の人にサービス、快適なアメニティ、栄養ある食事と移動手段を提供することが、途上国が積極的に気候変動緩和に取り組む上での障害と長い間考えられてきた。だが、近年の研究によりこのような考え方は間違っていると示された」という文章が非常に印象的だったためでした。本報告ではこの講演資料からの翻訳された図表を引用しており、引用することを快諾いただいたIGES渡部篤志氏に感謝申し上げます。

 そして、この第5章を読んでみて感じたのは、50年前に書かれたローマクラブの「成長の限界」との共通性です。ローマクラブの報告では、「世界人口、工業化、汚染、食糧生産、資源の使用の現在の成長率が不変のまま続くならば、来るべき100年以内に地球上の成長は限界点に到達するであろう」とされていました5)。ここで警告されていたのは、人類の成長にとっての地球資源の有限性に関する課題です。人間が生きていくために必要な天然資源は、水、大気、エネルギー、食糧などがありますが、その有限性については多くの人も感じていると思います。人口や産業活動が拡大していくにつれて、これらの資源が不足していくことは、容易に想像できます。

 局所的または一時的に、水不足や食料不足が世界中で起きていることが報道されています。エネルギーについても、化石燃料は枯渇すると言われながら、採掘技術の発達などにより、現状では未だに不足しているということはないようです。そのうえ、人類は新たなエネルギー、原子力や太陽光発電などの再生可能エネルギーも生み出しました。それゆえ、緊急のエネルギー不足はマクロ的には生じていないのです。

 しかし、化石燃料を利用した結果、地球上の温度を上昇させ、その被害が明確になることにより、化石燃料の枯渇の前に人類の生存や健康が脅かされる事態が生じてきました。それが地球温暖化です。遅かれ早かれ顕在化する資源や食料の有限性の発現の前に、地球温暖化の問題に人類が直面したと言えるでしょう。

 そのような地球資源の有限性といった課題をまず頭に入れてこの第5章を読むことが重要です。そして、その有限性を前提に「万人の幸福」(Wellbeing for all)と需要サイドの緩和のために、何をすべきかが第5章のテーマです。IPCCは、この与えられた資源(地球温暖化に関してはGHG排出量)をどのように配分していくかの課題に対して、主として先進国のエネルギーを浪費している社会システムにおいて、現在の生活を「適度な生活水準」(Decent living level)に変えることで実現することを目指そうとしたものと解釈できます。

 大きなシステム変革を伴う需要サイドの緩和を今後どのように実現していくか、人類の知恵と行動が問われています。

<参考文献>
1) IPCC:1.5℃の地球温暖化に関する特別報告書 (SR15)、2018年10月
2) 環境省:気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第3作業部会報告書の公表について、報道発表2022年4月4日、http://www.env.go.jp/press/110869.html
3) IGES:気候変動ウェビナーシリーズ、IPCC第6次評価報告書解説その① 第3作業部会報告書 概要編、田辺 清人、2022年4月14日(オンライン)
4) IGES:気候変動ウェビナーシリーズ、IPCC第6次評価報告書解説その④、第3作業部会報告書 各論編5章、渡部 厚志、2022年5月19日(オンライン)
5) D.H.メドウズ、D.L.メドウズ、J.ラーンダズ、W.W.ペアランズ:成長の限界(ローマクラブ「人類の危機」レポート)、(監訳者:大来佐武郎)、ダイヤモンド社、1972年